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気まぐれ日記 2000年1月

1月3日(月)「子どもたちと留守番の風さん」

 7時半に妻を最寄りの駅まで送った。2週間前に突然中学時代の同窓会の誘いがあり、躊躇する妻を励まして、1泊の徳島旅行に送り出したのである。同窓会は卒業以来初ということで、25年ぶりの再会になるという。数年前に中学の同期会に誘われ、30年ぶりに友人たちと会った経験がある私としても、どうしてもその感動を味わわせてやりたかった。一緒に学び遊んだ期間は、その後の別れていた人生よりもはるかに短いものだが、懐かしさはやはりひとしおである。そして、離れ離れであった自分の数十年の重みをあらためて実感できるともに、友人たちの同じ数十年の人生もいとおしく思えるのである。そして、再び第二の友情が芽生え、人生の終焉までの付き合いを決意させるのである。若い頃には想像も出来なかった感情である。

 続いて、須賀川から遊びに来ていた母と兄夫婦が帰った。昨夜から帰省ラッシュの始まった高速道路を走るのである。往復は大変だが、この1週間というもの、ひたすらサービスに徹し、知恵とアイデアをしぼったスケジュールを組んだイベント実行委員長としては、きっと満足して帰ったことと思う。たとえば昨日は、朝食後スーパーの初売りへ行き、昼食は知多牛のステーキを食べ、午後は常滑焼きを始めとする地元の土産物店めぐりをし、夜は家族全員で餃子を作り、水餃子と焼き餃子にしてたらふく食べた。

 朝のうちに4人もいなくなり、私と子どもたちだけが(猫や金魚、亀、クワガタ、ザリガニもいるが)留守番で残った。昨日までのごちそう攻めはもうない。ひたすら冷蔵庫の中を整理していくのである。それでも、部屋にひきこもりがちになる私なので、午前中に長男と次女を連れて、昨日とは別の店の初売りへ行き、子ども用のレンタルビデオもたくさん借りてきた。休暇は、いよいよ残り少なくなった。書斎のダルマは片目のまま年を越してしまった。そして、正月にあらたに2個もダルマが増えてしまった。この休暇中ではなく、昨年にやり残したことを、ねじり鉢巻きで挽回しなければならない。買ってきた絵馬に、家族で「夢」の寄せ書きをしたが、私が書いた言葉は「新作、ベストセラー」である。

1月5日(水)「充実した休暇はおしまい・・・の風さん」

 昨夜は、帰ってきた妻を子どもたちと駅まで出迎えて、そのままファミリーレストランで食事した。妻いわく「25年前の過去から現在に帰ってきたわ」とのこと。地元がほとんどの出席者の中で、片道6時間もかけてやってきたのは珍しく、ずいぶん歓迎されたらしい。25年の月日というと、ちょうど子どもが中学生だった自分たちと同じくらいになっている。その間に離婚した友人や、中には未だに結婚していない友だちもけっこういたそうだ。わたし自身の経験とも一致するが、1クラスに1人や2人すでに他界している友だちもいたそうだし、その中に自殺した友人も含まれていたという。元気で集まった友人は職業もまちまち。当然ながら、ずいぶん容貌を変えてしまった友人もいたようだが、すぐに昔の悪友やクラブ仲間と25年前に戻って、徳島滞在中はひたすら思い出話に興じていたという。レストランで食事中も実によくしゃべる妻は、まるで中学生のように無邪気で明るい。いつもはカロリーを気にして遠慮しているのが、今夜に限ってはパクパクよく食べるのである。あくまでも元気で明るい妻を連れて、掃除、洗濯、皿洗い、何でも完璧にしてある我が家(そりゃあもう大変だったんだから〜)へ帰宅した。

 一夜明けて今日は、ようやく本来の休暇を過ごすことができた1日だった。朝食後にピアノの独習(現在ヘンデルのラルゴに挑戦中)。その後、正月休み明けの体育館へ行き、フィットネスを1時間(休養が十分らしくベストの80%程度の記録)。帰宅してから、不調だった車庫の防犯灯と門灯を直し、昼食を食べてから長編のための年表作り。これが夕食前まで続いて、ようやく一段落した。A3横書きで11ページにもなるものである。あとでプリントアウトするが、これを眺めながら、いよいよ空想力を発揮して梗概作成に着手するつもりだ。夕食後は、メールのチェックと返信書き。年賀状にホームページのURLを付記したので、その反応が少しあった。また、反応のないアメリカの友人に、簡単な英文で新年のメッセージを送った(向こうからのメールはローマ字で、日本語ワープロ機能が働いていなかったから)。

 てなことをしているうちに、夜も更けてきた。長かったはずの年末年始休暇も今日でおしまいである。日記に書ききれないほど(イベント幹事と家事、育児で)忙しかったが、それをとにかく乗り切った。だから、去年が不本意だっただけに今年はやれそうな気がする。きっといい年になるぞ、うん。

1月9日(日)「やはり休日も多忙な風さん」

 エクセルで作っていた長編のための年表が一段落したので、プリントアウトしようとしたらなぜかエラーになってしまったのが、6日(木)の夜。7日(金)の夜に再度トライしてみるが、同じ症状。ヘルプ機能で調べてみるが、通信接続状態が悪いらしい。8日(土)の夜に、インクでなくカートリッジ本体を交換すると印刷できることが分かり、カートリッジの不調であることが判明した。しかし、この不調カートリッジは、プリントヘッドと一体のカラー印刷用のため、カラー印刷ができない。とりあえず、モノカラーで印刷したが、A3横書きで12ページにもなっていた。これから空想力でストーリー展開していくわけだが、時代背景だけで、たいへんなボリュームである。いかに絞り込むか考えないと、読者はもちろん作者も消化不良を起こしかねない。

 ・・・と、ところが、依然として長編に没頭できないんだよね。気が多すぎると言うのか、自分で自分を忙しくしているだけかもしれないけど、せっかくの休日だからと、ピアノの練習、体育館でのフィットネス、ビデオを2本鑑賞(エイリアン4とハリソン・フォードの6days and 7nights。どちらも客を飽きさせずにぐいぐい引っ張っていく展開テクニックが創作の参考になった)、新鷹会の「大衆文芸」用のエッセイ書き(身近な話題である、インターネットとホームページのことを書いた)、年賀状が一段落したので住所録の修正、来週新鷹会の勉強会で上京するので、その旅程立案。読書も、送付されてきた「アゴラ新年号」のオランダ特集が面白くて(1600年のリーフデ号の漂着以来、今年で日蘭交流400年となる。そういえば、蘭学やシーボルト、咸臨丸、日本とオランダの関わりは深く長いのだ・・・それで)、他の本が読めない状態。そうして、長編のプロット立てに着手できないまま、こうしてホームページの更新を始めている。

 ああぁぁ・・・。年賀状で、多くの方たちから、新作の激励を受けているというのにぃ! やはり昔の人のように、大願成就するまでは、「●●断ち」というのを何かやらなければいけないのだろうか・・・? ピアノ? フィットネス? ビデオ? インターネット? ホームページ? CD鑑賞? 買い物? 読書? 料理? ドライブ? 美術鑑賞? 寝酒? 女房? ああぁぁ・・・うっ。 

1月15日(土)「今年最初の新鷹会で怒る風さん」

 毎月15日は新鷹会の勉強会(東京 代々木八幡神社)である。今回は土曜日だし、日曜日は現地調査もしようと、泊まりで上京した。

 新年最初の勉強会でもあったので、13名ほどが出席した。持ち込まれた小説も6本あり、そのうちの3本が読まれた。すべて時代小説だった。自分の作品で悩んでいると、他人の作品についても、ついつい厳しくなってしまうのか、ある作品に対しては、聞いているうちに腹が立って腹が立ってどうしようもなかった。時代小説でありながら、時代考証がいい加減なのである。その時代の常識というものに欠けているのである。どういうことかと言うと、武家の世界を描いているのだが、どうしても現代サラリーマンの世界にしか聞こえないのだ。一家の主で身分もある武士が、来客があると玄関までひょこひょこ出てくるし、帰るときは見送ったりしている。独身の武家の男女が平気で二人だけで外を歩いたりしている。年号の元治(げんじ)を「がんじ」と読んだ。等々。感想を一番に求められたので、丁重に申し上げたところ、猛烈に反発してきた(そういう性癖の方であることは先刻承知)。勉強会の後、近くの居酒屋で2次会があり(その方は参加されなかった)、他の会員に聞いてみると、さっきの作品は個人的な恨みを伝えるために作ったもの(つまり自分の被害を歴史上のある事件に仮託して作った小説)で、小説的な味わいも時代考証も全く本人にはどうでもいいのだそうだ。実際、その方は自分の恨みを手紙に書いて、他の会員にしつこく送り続けたそうだし、エッセイか何かにして別の雑誌にも発表したらしい。だから、新鷹会の同人誌「大衆文芸」に載せる魂胆で書いてきたわけだ。そういう不純な(ペンの暴力だけの)作品が、良い作品と認められて掲載されるほど新鷹会は甘くない。

 せっかく銀座のホテルを予約したのだが、友人が多忙のため、「貴族」へ行くのはやめた。彼がいない状態で割引料金で利用することはできないし、まして正規料金で払う経済力もないからね。

1月16日(日)「12855歩の取材」

 今度書こうとしている長編は、初期和算家とキリスト教宣教師の触れ合いが重要な要素のひとつになっている。そこで、今日は現地調査の日となった。

 新橋駅で軽く朝食をとってから、JR中央線、京王線を乗り継いで調布駅で降りた。ここにある「サレジオ神学院」というところに、岡本三右衛門ことジョセフ・キアラのお墓があるからだ。キアラは寛永20年(1643)に筑前国大島に潜入したが捕らえられ、すぐに江戸送りとなって、小日向の切支丹屋敷に幽閉された。幽閉生活には謎が多いが、日本人妻を与えられて長生きし、亡くなったのは貞享2年(1685)である。小石川の無量院に葬られたのだが、戦時中に池袋の雑司ヶ谷共同墓地に移されていた墓石を、1943年、練馬のサレジオ神学院にいたタッシナリ神父らが譲り受けた。その後、1950年にサレジオ神学院が調布に建てられて、墓石も移転した。キアラは遠藤周作の有名な「沈黙」という小説で、ロドリゴという名前で出てくる中心人物である。このキアラが江戸で幽閉されていた時代は、まさに江戸で関孝和や建部賢弘が活躍していた時代なのである。調布のサレジオ神学院へは、正確な位置が分からないのと時間の節約のためタクシーで直行した。甲州街道を渡り、電通大学の横の路地を抜けた、さほど遠くない所にあった。墓石は人の背丈より低かったが、司祭帽をかたどった石を乗せた不思議な形をしていた。キリスト教を禁じていた幕府がどうしてこのような墓石を許したのか不思議でならない。

 徒歩で調布駅まで戻った私は、京王線で新宿まで戻り、そこから丸ノ内線で四谷乗り換え、南北線で後楽園駅下車、徒歩で伝通院へ向かった。ここには、キアラの供養碑と墓石(サレジオ神学院で見た本物に似せたもの)がある。1977年に供養碑建立委員会によって建てられたものだ。事実、正門から入ってすぐ左側の隅にあった。墓石は本物よりもひと回り小さく、司祭帽をかたどった半円形の石も低くつぶれた感じで、とても司祭帽には見えない。供養碑の裏の碑文は鋳造した金属板でしっかり読めた。草花こそ手向けられていないが、墓石周りはきれいで、こういう記念碑がしっかり残っていることは、キアラの人生を知り始めてきた者として、うれしい。

 それから、春日通りを歩いて、小石川四丁目の交差点で左折して(ここいらは同心町といった)狭い坂道を下った。「庚申坂」である。途中に階段もあってかなり急である。電車のガード下をくぐると、今度は上り坂にある。ここも狭い。「切支丹坂」といって、ここの右側に「切支丹屋敷」があったのである。今は住宅地で、当時の面影もないが、地形は残っているはずなので、こうして歩いていると当時の世界にタイムトリップしそうになる。小説の舞台として使う所なので、また来ることになるだろう。このへんは昔「茗荷谷」といったところで、今は駅名に名前が残っている。途中「蛙坂」といった妙な名前の坂も下って、途中で昼食をとり、茗荷谷駅から丸ノ内線で東京駅へ戻った。

 帰りの新幹線で今野敏さんの「慎治」(双葉文庫)を読み終えた。二日間で読んでしまったのだが、実に面白い小説だった。最初から最後まで、ぐいぐいと読者の興味をひきつけてはなさない。そして、読後感がすかっとしていて気分が良い。お薦めである。主人公は中学2年生の男子。いじめにあっている。プラモデルに凝っている担任教師や、サバイバルゲームに熱中している担任教師の友人等との触れ合いによって、慎治の世界が広がっていき、途中憧れの女生徒とのからみもあって、ワクワクさせられるが、クライマックスの盛り上がりまで、巧みな慎治の心理と成長過程が描写されていて、納得できるし、すがすがしい。プラモデルとアニメ、サバイバルゲームや拳銃の記述などはオタクそのものだが、うるさ過ぎないギリギリのところで抑えてある気がした。

 帰宅したら、今朝から装着していた万歩計が12855となっていた。このホームページのアクセスカウンターも早くそういう数字にならないかなあ。

1月18日(火)「読者初登場!」

 年賀状にURLを印刷するなど、宣伝の効果が徐々に出てきたようで、アクセスカウンタの回転速度が倍になった気がする。

 今日は、特別に(尊敬する知人ではあるが)読者の一人を紹介しよう。とりあえずペンネームは、大針 三朗さん。

 本は好きでいろいろ読む方だと思いますが、気が付いたことを書いておきます。これは、人の興味の方向が影響しているかもしれませんが。先日(昨年末)「柔らかな頬」を読みました。(桐野夏生著ー作者の名前は違っているかも知れない)10年以上前に話題となった「イエスの方舟」の事を取り入れていて、老人の内面を描いていて直木賞を受けた作品としていいものでした。しかし、スティーブン キングの 作品に比較すると印象が薄いのです。何故だろうか?作家の背景に違いがあるのではないだろうかと思う次第です。桐野は、主婦です。文芸春秋に直木賞受賞時の月間日記が出ていたのですが、通常は普通の主婦としても生活しています。一方、キングは何時書けなくなるか、常に精神的に不安定な作家です。そう言った精神状態がいいと言っているのではないが、そこから出てくるものに違いがあるのは事実です。その違いが、読む者に影響を与えているのだと思います。そのイメージは、周五郎や周平に通じるものがあるようです。また、漱石などにもです。すなわち、不安になやまされながらも、書かざるをえなくて書いていると感じます。

 大針さんの人物像が想像できますか? 私と同じエンジニアですぞ。しかも、とびきり優秀な。キャノンの涌井さんといい、数学者の中にも非常に多いのだが、読書家で且つ書評家なのである。理工系といえど、あなどれないのじゃ。それで、上の感想メールに対する、私の回答は下記。

 作家の精神状態が作品に投影されるのは十分あり得ることだと思います。私の場合、どんな主人公であれ、自分自身を投影しています。その方が書きやすい。ある意味で、役者が演技するときに、自分自身との共通点を見つけて役作りをするのに似ていると思います。確か仲代達也がそう言っていたと思います。短編集「円周率を計算した男」の中のすべての主人公はわたし自身です。

 ははは。相変わらずのまじめな回答。

1月20日(木)「原稿の早い人は、やることは何でも早い」

 下にある「お薦め作家のホームページ」の作家は、日本インターネット歴史作家協会の仲間である。この仲間の間でメーリングリストを組んで、連日連夜メールの雨を降らせている。平均して、1日に10〜30通ぐらい飛び交っているか。

 その中の若桜木虔(わかさき けん)さんは、霧島那智というペンネームも使って、著書が400冊以上もある。そんなに著書があるなら、もう90歳を越える仙人かと思いきや、私とそれほど変わらない青年(?)作家である。というより「豪の作家」と呼びたい。その量産能力に敬服している。

 15日の東京での出来事を報告がてら、敬服している若桜木兄貴に著書をおねだりしたところ、早速、今日発送してくれたとのこと。いやはや、原稿の早い人は、やることは何でも早いわ・・・。

●若桜木さんへ送ったメールの一部

 毎月15日が新鷹会の勉強会で、昨日そこで松岡弘一さん(ミステリー作家で新鷹会員)にi歴協(インターネット歴史作家協会の略語)の話をしていて、若桜木さんのことを、「恐るべき執筆量の人ですよ」と紹介したら、「400冊以上の著書があるんだぞ」とやはり知っていました。続いて、小説の書き方の本の話になり、私が「クーンツのベストセラー小説の書き方は、参考になりますね」と言ったら、「日本の本で一番いいのは、若桜木さんの「作家養成講座」(KKベストセラーズ)」、と即座に回答がきました。・・・(ここで著書をおねだり)・・・。

●若桜木さんからの返信メールの一部

 鳴海風様

 本日、以下の書籍を発送。

「太平洋大海戦」「大西洋大海戦」(双葉社)合わせて6冊。

「王政復古大戦争」(双葉社)全3冊。

「****強奪作戦発動」シリーズ(実業之日本社)全3冊。

 ご笑納下さい。

 どれが1番面白いかと言えば、話が出鱈目な分だけ、実日の3冊のような気がします。他は、シミュレーションの王道を行っていますので、読み慣れた人には、先が読めると言えば読めます。

 本日お送りした12冊の本は、どれも全て着手(構想を練る段階を含め)から2週間以内に脱稿したものばかりです。どっかに速筆の鍵が現れているはずです。

若桜木虔

http://user2.allnet.ne.jp/kirishima-nachi/

1月21日(金)「若桜木さんの本を読んで初心に帰った風さん」

 新交通システム「ゆりかもめ」に乗って東京ビッグサイトへ行ってきた。途中船の科学館という駅を通過している時のことである。大寒にふさわしく日本列島を寒波が襲っていて、風も強いが目に痛いほど空が青い。その透明な空気をつらぬいて、はるか西、富士山がくっきりと定規で引いたような山容を見せていた。手前の丹沢の山々を睥睨するように突き出た上半身は、すっかり雪で覆われ日光を反射していた。巨大なビル群のなかった江戸時代、人々にとって富士山は身近であり、その威容は信仰心を喚起するのに十分だった、とあらためて感じた。

 新幹線の中で、若桜木虔さんの「作家養成講座」を読了した。前半は作家志望者としての心得を述べたもので、納得できる内容。要は、読者や編集者に対して謙虚さが大事である、と言っている。自分も気持ちだけはそのつもりである。後半は、プロとしての文章作成の厳しさを具体例をあげながら解説したもので、迫力ある内容だった。特に、現実に存在する他人の小説の中から例を引き、その欠点を指摘した上で、若桜木さんが直した文章を提示した部分は、作家志望者でなくても感動すると思う。

 私はと言えば、こういう文章修業は確かにしていた。他人の作品を読んでいても、その作家の苦心やテクニックに気付くたびに、小説を書く厳しさと楽しさを両方味わっていたものである。しかし、いつしか、小説の文章を書くということに対する厳しさが失われ、同時に他の作家の苦心やテクニックに気が付かなくなっていた。自分がちゃんとした小説を書けるようになったからではない。単なる油断である。慢心と言ってもよい。そのことを気付かせてくれた同書(と著者である若桜木さん)に対して私は感謝したい。

 遅く帰宅すると、既に若桜木さんからの12冊の本が宅急便で届いていた。それぞれ構想から脱稿まで2週間程と本人は言われるが、読んで学ぶべきことはきっと多いに違いない。腰から万歩計を外してみたら、14142歩となっていた。先週の東京での取材よりも大きな数字に、何となくため息が出た。

1月23日(日)「私は一人・・・のハズ」

 ウィークデーはまじめな(?)会社員を演じているせいか、このホームページを初めて読んだ方(仕事で付き合いのある他社の方)から、次のようなメールをいただいた。ほぼ同時に先日の大針三朗さんからも似たメールをいただいた。私って、二重人格?

 今日初打ちゴルフでまあまあのスコアで納得しながら、パソコンに昨年までのスコア整理と今年のスコアを表に取り纏めていたところ、風さんのアドレスにアクセスすることを想い出し、トライしてみました。初めてのアクセスです。教えて頂いた「d2.」と「シフトキー+^」を間違えないようにキーをたたいて、アクセス出来たことは素直に喜びでした。画面に出てきたそのホームページの中身は、さらに私を感嘆させました。「俺って今まで何をしていたのか?」と自問させる程の衝撃です。どのように頭のなかを回路構築したら鳴海風さんのように行動できるのか、是非一度そのコツをお教え頂きたく思います。エンジニアとしての仕事と作家としての仕事の「自立分散制御回路」を。それはただ好きなこと、興味あること、強い意思だけのことではないように思います。もしかして二人の人間が居るのではありませんか?それとも時間を人の倍保有されておられるのですか? 

知多で星を見たい「d2」&「シフトキー+^」より

追伸;お身体ご自愛ください。

 この方とは年齢が近いこともあり、何となくウマが合う。会社の仕事とは切り離してお付き合いしたいが、まだまだ私は未熟者。

 続いて、大針三朗さんのメール。

 ホームページを見ました。小生の事を取り上げていただき恐縮しております。また、「***(本名)」と「鳴海風」の2人の人格を統合して見える事に感心いたします。私は、2つの人間に興味があります。どうも、「風さん」としての方が、居心地がよさそうに感じますが。小説の、取材のしかた等、「***」を実感している人間として、興味を持って拝見できます。どうか、引き続き書きつづけてください。

 大針さんのご指摘通りです。私の理想は、このホームページのタイトルそのものの 「FREE AS THE WIND」 です。・・・となると、会社での私を知る人から見ると、やはり私は二重人格かいな。

1月29日(土)「ネット座談会に意気込む風さん」

 若桜木さんからi歴協(日本インターネット歴史作家協会)のメンバーを中心にして、ネット座談会をやらないかという誘いが、過日あった。

 私が「公募ガイド」で「作家養成塾」を連載しているのは既に申し上げたとおりで、どうやればプロ作家デビューできるか、っていうテーマが、常に存在します。で、SFの新人賞に関して質問を発しましたように、現時点で自分が関与していないジャンルに関しては、どうしても隔靴掻痒になったり、的外れ、見当外れになったりします。

 そこで編集部に、ネット座談会を提案したところ、下記のような返事(省略)が来ました。橋谷氏は、副編集長です。

 このi歴協なら、本格時代から中国物、シミュレーション、SFから耽美、ライトノベルまで、完全にメンツは揃っているので、如何なもんでしょう?

 橋谷氏によると、テーマは「小説の新味とオリジナリティの出し方」になりそうである。このテーマなら、私も発言できると思い、手を上げた(これが、もし「量産するための心得」とか「ベストセラーの秘訣」だったら、沈黙)。今のところ、i歴協以外からも参加があって、14名の作家がメーリングリストを使って、言いたい放題書き込む。あとは橋谷氏が腕をふるって書き込みを料理し、月刊「公募ガイド」3月号に掲載される模様。座談会は2月1日から10日の間にネット上で行なわれる。昨夜、専用の受信フォルダーも作り、入れ込んでいる。

 というのも、今週の26日(水)の夜、東京では日本推理作家協会の新年会があり、同協会に属しているi歴協の人たちは、そこで会ってずいぶん友好を深めたのである。そのへんの様子がi歴協のメーリングリストで伝わってきて、会社で多忙な日々を過ごしていた私は、いささか落ち込んでいた。だから、座談会には参加して、自分の存在をアピールしよう、と思ってるワケ。

1月31日(月)「ぎょえぇ!・・・の風さん」

 いくら遅筆でももう我慢なんねえ、と昨日は書き下ろしのプロットを書き上げ(まるでシャレだね)、今朝、出版社へ郵送した。次は梗概もこの勢いでまっしぐらに書いて、送っちゃおうと思っている。

 でも、私にとってプロットを書くのも大変だったのだ。まだまだ調べておきたい資料は山のように残っているし、現地調査も不十分、おまけに頭の中は霞がかかっていて(ボケもあるかも・・・)、文章を書くのが怖くてしょうがない。途中でフィットネスのために体育館へも行ったし、独学のピアノ・レッスンもやって気分転換を試みたりしてみた。・・・で、結局は、「ええい、なるようになれ!」とばかりに、パソコンのキーボードをたたき続けたわけである(まだまだ若桜木さんの足元にも及ばないなあ)。

 というわけで、昨日たった1日だけメールを開かなかったら、ぎょえぇ・・・な、なんと47通のメールがフォルダーにつまっていた。ほとんどはi歴協のメーリングリストと明日から始まる座談会のテスト送信だったが、結構重たい内容のメールもあった。新潟在住の人から身近なところで妙な事件が起きている・・・とか、ネ。

 そのような中で、知人からのほのぼのした雰囲気のメールに、心が癒された。「相変わらずエネルギッシュな風さんへ」というタイトルで、

 思い立ったら実行、というわけで久しぶりに(ごめんなさい)家内とホームページを拝見させていただきました。もうすぐ500人目ですね! 日記の中に奥様のクラス会の話しがありましたが、私も20年ぶりに高校の同級生が1/4も集まる会に出席しました。案内には「エッ!と思うような人もいますから、皆さん安心して出席下さい」とありましたが、案の定、私を含め数人のことがチェーンメールの如くうわさになっていたようです。 人気者は辛い、、、。 年をとると昔の友人に会いたくなる、とは言え、20年前の思い出からくる親近感と、20年間の年輪の重みからくる「新しい出会い」を感じて止みません。ということで、今年は古い友にも会おう!という目標をたてました。

そう言えば、江戸時代のことが書いてある本を買って読んでいないというお話をさせていただきましたが、「早わかり 江戸時代(河合敦、日本実業出版)」という本でした。今度海外生活するようなことがあれば、恥ずかしくない程度に知識はつけておきたいものです。さあ、あしたは元気がよければ「カレイ釣り」と「ぶどう園での畑仕事」に精をだしてみようかとおもいます。そうそう、本日あらたに三匹の熱帯魚が水槽に仲間入りしました。そろそろ大きな水槽が欲しい、、、、。  

 以上とりとめのない話ばかりでした!   Arnie (&Marie)

 年をとると昔の友人に会いたくなる・・・ですか。わかるなあ。ずっと離れ離れで歩んできた人生でも、子ども時代(または学生時代)の数年間一緒にいただけなのに、自分のいない(知らない)相手の人生までが、なぜかいとおしい。それだけ人生経験が豊富っていうことなんでしょうか。

 ま、とにかく、明日「カレイ釣り」と「ぶどう園での畑仕事」がどうだったか、聞いてみようっと。

 
気まぐれ日記 00年2月へつづく